74KA0149 BC ♂ 花尻充由作出

直仔郵政大臣賞西部地区1位他100K〜600K全優入賞
孫 GN1100K優勝西四国連盟総合3位
                       四国3地区総合18位
(父)ブルー240号 B G・ファブリー作翔
      リモージュまで入賞 孫モスキートホープ号
(母)70KA3049 BC 花尻充由作出
   モスキート号×10055(モスキート号×クレオ号)
   直仔モスキート343号

1974年春、神戸のおばさんを訪ねる事を口実に、近畿鳩界探検の旅に出ました。その中に、まさにその年全日本敢闘賞鳩舎賞(シルバー賞)を受賞しようとする花尻充由鳩舎も含まれていました。神戸から電話で「鳩見せてください。」とお願いすると(レース期間中の為断られる鳩舎さんが多かったのですが)気持ちよく受け入れてくださいました。
既に源鳩モスキート号は他界しており見ることは叶いませんでしたが、スパーク号・ペガサス号・モスキートエース号等々感動で震えましたね。スパーク号×すみれ号のヒナが欲しかったのですが、握りしめていた子供の貯めたお金では足りず、モスキート号の孫にあたるこの鳩を持ち帰りました。巣立ち直後でしたが、長手で胸部骨格がしっかりした頑丈なイメージの鳩でした。

大阪から夜のフェリーに乗り、早朝の新居浜に着き、お世話になっていた故高橋巌さんに、この鳩を見ていただいたのですが「木原くん、こんな鳩をズラ〜と揃えたら1000Kくらい軽く帰るようになるよ。ええ鳩よ。」と言って頂きました。しかし、ながら宇和島に帰り「花尻充由鳩舎の鳩が来たらしい。」と、大人の会員さんが多数見に来られましたが、一様に「こんな肩あげる不細工な鳩、飛ぶわけないやろが!」と酷評の嵐でした。まあ、当時は在来の小ぶりでプリプリした鳩が好まれてましたし、ヒナの時肩をあげる鳩が成長するにしたがって肩を巻いてくるなんて知識も無かったんでしょう。純ファブリーの鳩なんて受け入れてもらえなかったですね。

1976年、高校を卒業する時、同じ連合会でモスキート系を飼っていた三好一臣さんにこの鳩を預かってもらいました。1981年に飼育再開してこの鳩を引き取るまでの期間に、三好鳩舎でこの鳩の直系が大活躍しました。

1997年、またまた飼育再開した時、鳩を辞められる鳩舎さんがいて、そこの種鳩を殆ど引き取ったのですが、その中になんとこの鳩の孫鳩でGN1100K優勝総合3位鳩が含まれていました。三好さんが飼育中止した時に引き取っていたそうです。偶然とはいえ、運命的な出会いを感じました。