戌年生まれ







小学校4年生の時「鳩ブーム」にのって鳩を飼い始める。
もちろん初めは「レース鳩」ではなく、ドバトの純白などなど。
小学校6年の時「愛鳩の友」の「鳩あげますコーナー」に応募して当選。
高松市の方から系統書のついた灰胡麻のツガイをプレゼントされる。
この頃、宇和島に(社)日本鳩レース協会所属の単独クラブ
「宇和島ピジョンクラブ」があるのを知り入会。
1971年秋、初めて「鳩レース」に参加する。
大人の鳩舎さんの鳩より2倍も3倍も時間はかかったけれど
初めての100Kレースで到着台に降り立った栗色の鳩の姿は
今でも鮮明に覚えている。

ここらから、私の「鳩道楽」が始まったような気がする。

この頃、当時の愛媛中央連合会会長 高橋 巌氏と出会う。
1973年、単独クラブの「宇和島ピジョンクラブ」から
准連合会「宇和島競翔准連合会」となる。
翌1974年「宇和島競翔連合会」発足。

1974年3月、神戸・高森康之氏、大阪・花尻充由氏と出会う。
1974年秋、失礼にも岩田誠三氏に、いきなりバイトで貯めた
お金を現金書留で送りつけ
「500k帰る鳩、売ってください。」とやってしました。
その結果・・・・

高校卒業までレースに参加。
しかし、遂に最後まで「文部大臣賞」と「ジュニア選手権」の
両レースで連合会優勝する事が出来なかった。万年2位・・・

大阪へ
休日は、月1回くらいしか無かったが、
休日の度に花尻充由鳩舎を訪ねる。
行く度に貰った活躍鳩の写真に系統書をつけて
一冊のノートを作る。
これを見た花尻充由氏が「もっと、ましなもん作ろうか。」
これがモスキートブック1のきっかけとなる。
編集の郡司氏と泊まりがけで記録の整理等々手伝い
花尻充由氏より、手伝ったご褒美に
「どれか好きな鳩に名前つけてええぞ。」
と言っていただいたが辞退、
代わりに
「本の後ろに名前入れてください。」とお願いする。
モスキートブック1の最後の頁に「記録 木原 孝」と
あるのはこう言う訳である。

1981年、帰郷。
連合会員さんのミカン山の一角を借りて鳩舎を建て
飼育再開。

再開初レース、雨の100Kレースで、いきなり1位3位
これが初の連合会優勝

1986年、仕事で出張が多く、山の上の鳩舎では
思うように管理できないので飼育中止。

1997年「今は鳩帰ってこんけんやめとけや!」
との忠告も無視して
どうしても我慢できなくなり飼育再開

2000年、以前のミカン山の上に鳩舎移転
鳩三昧の生活に浸る


種鳩鳩舎 2m×2.7m(+0.6m出窓)が3部屋  巣房27個 配合室4

2000年春に建てた鳩舎です。
初めは、種鳩2部屋、選手1部屋で使用してました。
2003年春に、農道を挟んだ向かい側に選手鳩鳩舎を建てたので
現在は、種鳩のみで使用してます。
実は、2004年配合前、種鳩が100羽もおりました。
気に入ったら手当たり放題集めてきた結果なのですが
とても全ての鳩を配合できません。
ただ今、鋭意削減中。
20ペアくらいでちょうど良いかなと思ってます。

2003年春に建てた選手鳩鳩舎です。2m×3.6mが2室  止まり木180個
南向きに建てたのですが、山の頂に向いている為
山の上の木に待機している猛禽類に
入舎時を狙われる結果となってしまいました。
その為、一端到着台に鳩が降りれば
逃げ込むように入舎しますが
それまでが大変
なかなか降りてきません。
これでは、よほどチギッて帰らない限り
連合会でも勝てません。


毎年、作出鳩の8割ほどは
猛禽類のエサになります。

2004年は160羽を作出
秋レースのカップリング時には72羽しかおりませんでした。
2005年は210羽の作出で
秋レースカップリング時に48羽でした。


1981年に作った鳩舎です。
手前の白い鳩舎が私の鳩舎で、その後ろは地主さんの梶田剛弘さん
の鳩舎です。この翌年、手前に約1.5坪の種鳩用鳩舎を建てました。
位置的には今の選手鳩舎と同じなのですが、後ろに見える杉の木が
この写真には写っていません。20年の時の流れを感じます。
しかし、私も若い!しかも腹が出ていない!



アルバムをめくっていて見つけました。
小学4年の時の2つ目の鳩舎です。アルバムに自分で解説文を
付けてましたのでそのまま載せてみます。

「小学4年の時、建てた2つ目の鳩舎。この前の鳩舎は、洗濯機
の木枠で作ったものだった。この間、ステレオの木枠で小さなも
のを作ったが、猫に襲われやめにした。1つめの鳩舎のトラップ練
習用の金網を外して、そのまま、トラップと出口を閉め忘れ、純白
と栗が逃げてしまい3日目に帰ってきた。その日おやじが1日がか
りで建ててくれたもの。後ろに赤旗を立てて、風力計も付けた。
戸は、左側上部にあり管理しにくかった。ヘタをすれば、エサを置く
ためかがんだ隙に背中を通って鳩が逃げ出すからだ。 その後、
小学6年の時に、前部に拡張し、到着台と展望台が付いた。しかし
直ぐに下の庭に、また鳩舎を建てた為、また拡張部分を外し、新鳩
舎の横でイタチに襲われるまで種鳩交配用として使った。」
(原文そのまま)

この時代の電化製品てみんな木枠で送られてきてたんですよね。ちょっと大きめの木枠を電気屋さんで見かけると
「これちょうだい。」と貰ってきました。巣箱は、リンゴ箱。子供部屋の屋根の上にあり、はしごで毎日登ってましたが、
度々瓦を踏み割りおやじに怒鳴られました。鳩舎を庭に降ろした(無理矢理降ろされた?)のは、これが原因でした。

この頃は、猫やイタチに度々襲われましたね。特に猫には悩まされました。しかも、隣の病院の奥さんが飼ってた猫に。
一度、軒先にその猫を追いつめ、火を噴きながら威嚇してくる猫を段ボールで捕獲して自転車に積んで捨てに行きま
した。所が、その夜から近所中大騒ぎ!!病院の奥さんが「うちの猫がおらん!!」と泣きながら探し回ってるんです。
おやじに挙動不審な所を見破られ、ついに捨てた場所を白状してしまった。捨てた公園に探しに行くと、猫は木の上に
登って降りられなくなりニャ〜ニャ〜鳴いてました。親父が木に登り、引っかかれながら猫を捕まえ、平身低頭、病院の
奥様のもとへ。こっぴどく叱られましたが、これについては、未だに悪い事をしたとは思ってません(キッパリ・開き直り)
猫を放し飼いにする方が悪い。

ちゃんと電気来てます。四国電力さんありがとう

駐車場完備です