ビジネスホテル重信

巡拝ご案内

トップ > 巡拝ご案内

四国八十八ヶ所巡拝ご案内

四国八十八ヶ所巡拝距離


ホテル重信より
  • 愛媛大学附属病院 50m
  • 第四十九番 浄土寺 7km
  • 第四十八番 西林寺 9km

第四十四番 菅生山 大宝寺 大覚院


〔本尊〕十一面観世音菩薩 〔開基〕明神右京・隼人
明神右京・隼人という狩人が、この地で十一面観音を発見し安置したのがはじまりで、大宝元年 文武天皇の勅願により開創され、その年の年号にちなんで大宝寺と名付けられたといわれています。その後、弘法大師が山中で密教三密の修法を厳修され札所に定められました。

第四十五番 海岸山 岩屋寺


〔本尊〕不動明王 〔開基〕弘法大師 
法華仙人という女の仙人が仙術の修行をしていたころ、弘法大師がこの地を訪れると女仙人は大師に深く帰依し一山を献上して大往生をとげました。そこで大師は木と石の不動明王を刻み木像は本尊として本堂に安置し、石像は女仙人の行場であったといわれる洞穴に安置して山全体を信仰の対象としたと伝えられています。

第四十六番 医王山 浄瑠璃時 養珠院


〔本尊〕薬師如来 〔開基〕行基菩薩
行基菩薩が大仏勧進に先立ち伊予に来られたとき、自ら薬師如来を刻んで本尊とし、日光・ 月光の両菩薩、十二神将を刻んで安置しこのお寺を開創しました。薬師如来の居られる浄瑠璃浄土にちなんで浄瑠璃寺と名付けられたと伝えられています。このお寺には、弘法大師が加持した樹齢千年といわれるイブキビャクシンの古木が茂っており「籾大師」とよばれています。

第四十七番 熊野山 八坂寺 妙見院


〔本尊〕阿弥陀如来 〔開基〕役行者小角
お寺を創建するために、八つの坂道を切り開いたことにちなんで八坂寺と名付けられたといわれています。遍路の元祖といわれる衛門三郎は、この地に生まれた強欲な男でした。 托鉢僧として来た弘法大師を追い払おうと、持っていた鉄鉢を八つに割ってしまいました。すると翌日から八人の子供が次々急死し、前非を悔いた三郎は大師を追って遍路の旅に出たと伝えられています。

第四十八番 清滝山 西林寺 安養院


〔本尊〕十一面観世音菩薩 〔開基〕行基菩薩
このお寺の西南、奥の院に杖の淵があり弘法大師がこの地を訪れたとき農家に立ち寄って出てきた老農夫に水を飲ませて欲しいと頼みました。日照り続きで飲み水にも事欠く有様にもかかわらず、老農夫は遠くの泉まで行き水を汲んで来てくれました。大師は感謝して持っていた錫杖を地に突き立てたところ清水があふれ出し淵になったと伝えられています。

第四十九番 西林山 浄土寺 三蔵院


〔本尊〕釈迦如来 〔開基〕恵明上人
この寺には浄土宗の開祖、円光大師・二世聖光上人・三世良忠上人の自作像がありそれが三蔵院の院号になったといわれています。天徳の頃には、空地上人が三年間この寺に留まり、この地を去るときに村人の願いで自像を刻みました。その像は「南無阿弥陀仏」を唱えている姿で、名号が六体の仏となって顕われている立像です。今も浄土寺に安置されています。

第五十番 東山 繁多寺 瑠璃光院


〔本尊〕薬師如来 〔開基〕行基菩薩
弘法大師がこの寺に留り修行され、寺号を光明寺から繁多寺に改め札所に定められました。天和の頃には、四代将軍家綱の念持仏の一つ歓喜天を付託され聖天堂にまつられており、歴代皇家から尊ばれた証として一六弁の菊の紋章瓦が残されています。時宗の開祖である一編上人が、この寺に滞在したといわれており三部経を奉納されたといわれています。

第五十一番 熊野山 石手寺 虚空蔵院


〔本尊〕薬師如来 〔開基〕行基菩薩
弘法大師に謝罪するため遍路旅に出た衛門三郎が大師に巡り会えたのは、三郎が息を引き取る寸前で「来世は国司の家に生まれたい」といって息絶えてしまいました。大師は小石に「衛門三郎再来」と書いて三郎の左手に握らせました。その後、城主河野家に生まれた子息が生まれた時から左手を開かないため、安養寺の住職が祈祷をすると左手を開き「衛門三郎再来」と書かれた小石が出てきました。その時から安養寺は石手寺に寺号が改められたと伝えらており、小石は寺宝として寺に安置されています。

第五十二番 瀧雲山 太山寺 護持院


〔本尊〕十一面観世音菩薩 〔行基〕真野長者
豊後の国の真野長者が高浜海上で暴風雨に遭い一心に観音経を唱え祈ると瀧雲山の方向から差した御光のお陰で助かりました。光を頼りに山頂へ昇ってみると荒れ果てた草堂の中に十一面観音が安置してあり、助けられたお礼にと本国で木組した材料を運び、一夜のうちに御堂を建てたと伝えられています。その後、弘法大師が護摩修法をされ法相宗を真言宗に改め札所に定められました。

第五十三番 須賀山 円明寺 正智院


〔本尊〕阿弥陀如来 〔行基〕行基菩薩
霊場に参拝することを「札を打つ」といい、自分の願いを書いた札を寺の建物の何処かに釘で打ちつけたことに由来しています。この寺には四国最古の納経札があり、発見したのがアメリカのスタール博士で銅板札に深い関心を持ち素晴らしい価値があると評価しました。また、「キリシタン灯籠」とよばれるマリア像が浮き彫りになった石塔がありキリシタン禁制の時代にも信者を受け入れた密教の寛容な心を感じます。

▲ページの先頭へ

MENU

Copyright © 2018 ビジネスホテル重信