このホームページはJavaScriptを使用しています
 公益社団法人隊友会愛媛県隊友会 公益社団法人隊友会愛媛県隊友会 文字サイズ変更
小 中 大

トップ > 活動報告 > 令和3年度 > 令和3年度12月

令和3年度12月

松山駐屯地年末行事 12月19日(日) 陸上自衛隊松山駐屯地

 10:00〜11:30、初めての試みとして、駐屯地で来賓及び隊員家族を交え、年末に餅つきとビンゴ大会をすることになりました。厚生館前に3台の餅つき台を設け、隊員に交じって来賓、家族が杵を振るいました。その後、体育館に移動してのビンゴ大会でも大いに盛り上がり、楽しいひと時を過ごしました。

歯科医、そして今、予備自衛官として(その1) 12月15日(水) 隊友掲載


予備2等陸佐 久保田 敦

 私は、愛媛で開業医として日々患者さんの診療をしながら、定期的に渡米して大学で教鞭を執っています。そして今、日本国の緊急事態に備えて陸上自衛隊の予備自衛官に任用されています。令和2年12月に予備自衛官補(技能)として採用され、令和3年1月に予備2等陸佐となり、2月には隊友会に入会しました。
 予備自衛官への道は令和2年1月、自衛隊愛媛地方協力本部で説明を受けたことから始まり、11月に陸上自衛隊大久保駐屯地(京都府宇治市)で採用試験を受けました。その会場には阪神淡路大震災や東日本大震災での救助・救援活動の写真が展示してあり、休懇時間に見入っていると、試験官が救援活動の苦労話をしてくれました。その時『医療系の専門職の方にはぜひ入隊してほしいのです。災害派遣等の際には本当に助かります。私たちの仲間≠ノなってください』と言われたのが、私の心に大きく響きました。
 1カ月後に合格通知が届き自衛隊愛媛地方協力本部長から辞令書を交付されました。趣味のロードバイクや登山で基礎体力には自信がありましたが、自衛隊で通用するのか? 毎日5kmのジョギングを始めました。
 予備自補となった私は、大津駐屯地で教育訓練(技能)に参加しました。訓練の前日、診療を終えて、大急ぎで飛行機、バス、電車を乗り継いで、湖畔の駅に到着。駐屯地まで暗い夜道を1人歩きました。もちろん不安でいっぱいです。営門でドキドキしながら、予備自衛官補手帳と訓練招集命令書を見せると、『遠くからご苦労様です、僕も松前町出身ですよ』と、ニッコリ笑顔の好青年。『え、僕は道後です』と、一気に気持ちが楽になりました。
 全く自衛隊を知らなかった私にとって見るもの、聞くもの¥奄゚てのことばかりでした。駐屯地の第109教育大隊では、予備自補教育の他に、自衛官候補生や陸曹候補生など、私の子供世代の若人が、朝から晩まで懸命に訓練に励んでいました。本当に一生懸命です。毎晩遅くまで、隊舎で訓練の復習をしている声も聞こえました。
 最も驚いたのは、彼らを指導する教官です。彼らにぴったり寄り添って寝食を共にして、教育をしていました。我々の区隊の同期には、教員免許を持った方がいましたが、彼から見ても、「自衛隊の教育にかける熱意と根気が凄い!」と言わしめました。自衛隊には、鉄拳制裁などの暴力、差別や不公平な扱いなど、全くありません。自分はその仲間≠ノなって、自衛隊の真の姿を見ることができました。そして、訓練はより高度な内容に進んでいきました。

◇ 技能公募の招集教育訓練は、第1段階(5日間):初歩的な職能を付与、第2段階(5日間):専門技能を発揮するために必要な職能を付与するとなっており、2年以内に10日間、80時間で履修する。また、医療系予備自衛官は、医師・歯科医師については、実務経験19年以上で2等陸佐として任用される。(事務局)

関中佐・大黒飛行兵曹長慰霊祭に参加 12月15日(水) 隊友掲載

 四国中央支部三島中央分会(分会長・谷口直夫)は10月25日(月)、村松大師(四国中央市)で昭和19年10月25日、神風特別攻撃隊敷島隊の隊長としてレイテ島沖で米海軍空母セント・ローを撃沈した関行男海軍中佐(現在の西条市出身)と大黒繁男海軍飛行兵曹長(現在の四国中央市出身)の慰霊祭に参加し、墓石の前で哀悼の誠を捧げた。
 また、前日24日には墓所及び周辺を清掃して慰霊祭に備え、当日は秋雨の中、受付等を行った。
(分会会員・高橋幸治)